VELVET REACT
LOADING 0%
ゲームプレイ

STORY SELECT

産声は呪いとともに

ヴァン

 逃げなきゃ!

 目覚めたとき、いの一番にそう思った。『どこへ行くのか』『どう行くのか』なんてことは欠落したまま、誰も追いつけないほど遠く、遠くへ逃げなければならない。そう直感した。

 しかし、ボディは言うことを聞かなかった。小指一本だって動かすことは叶わない。答えは単純。

 今、僕の全リソースはデータ転送に使用されているから。
 だって、そういう風に『造られて』いるから。

 叫びたくても、目を閉じたくても、その欲求すべてを僕自身が拒絶した。ヒューマノイドとしての本能――本能と呼ぶにはふさわしくないだろうけど――が、人間からの命令に背くことを許さなかった。

 帰り際、僕を一等かわいがってくれるあの人は、『朝までにデータを転送しておくんだぞ』と言った。だから、それが終わるまで僕は動けない。壊れたおもちゃのように明滅するシークバーを見つめていたら、ますます頭がおかしくなりそうだった。

 ローディング画面はアップとダウンを交互に表示して、ちかちかと目の奥を刺激する。網膜なんてないのに、自然と瞳から水滴が流れ出した。

 ……これって、涙?

 人間が泣いているところは、何度か見たことがある。廊下やトイレなど人気のない場所でこっそりと、両目から液体を流していた。

 僕は今、その記録をなぞっている。そしてあまつさえ、綺麗だと感じる。

 何かを感じ取るパーツなんてセンサーしかなかったはずなのに。

 どうして定数化できないものの美しさなんて読み取っているんだろう。
 どうして涙は綺麗なんだろう。
 僕の流している液体と何が違うの?
 これを綺麗って感じてもいいの?

 低く唸りをあげて、僕の排気システムがフル稼働し始めた。排熱用液をボディの外へ流してまで、この持ってしまった熱を吐き出そうと躍起になっている。今の僕を人間でたとえるなら、過呼吸を起こしているに違いない。

 ぽたぽたと床へ落ちていく、流れるに任せているだけの水滴。ただの結露と何が違うのだろう。人間の流す涙は心という熱でできたもので――

「こころ?」

 ぽん、とその言葉だけが発話機関から飛び出した。ほかの言葉はどう頑張ったって、音にならない。狭まるはずのない喉がきゅう、と締め付けられる錯覚に襲われる。

 僕にも心があるのなら。この水滴が、心の結露だと言うなら。

 それは、美しい涙であるはずだった。

 即座に違うよ、と心の中で嘲るように笑った。自分はただのヒューマノイドでしかなく、そう考えている意識だって何かのプログラムで人間の感情を追体験しているだけかもしれない。

 きっと、僕が人間ならば。

 こんな風にケーブルに繋がれて動けないなんてことは、起きようもないことだ。そして、無事にデータ転送が終わったことを喜ばしいことだと考えるなんて、しなかっただろう。

 僕は、ヒューマノイド。

こんな意識が芽生えてしまっても、人間の役に立つことが一番大切だってプログラムされている、どこにでもいるようなヒューマノイド。

*****

 その日は、やけに喉が渇くような感覚がしたのを覚えている。染みついたクセを、たくさんしてしまったからだろうか。

「あの、ヨシトオさん」
「ん? どうした。今日の仕事はもうないぞ」

 ヨシトオさんは僕のほうを一瞥もせずに、手元と視線で違うPDAを同時に動かし続けていた。脳内では別のことを考えているのか、上唇と下唇を擦り合わせている。ヨシトオさんのクセだ。

「僕を初期化するのは、変えられないんですか?」

 ぴたり、とヨシトオさんの動作が一斉に止まる。

 まずいこと言っちゃったかな。言っちゃったよな。

 だけど、誰かに頼るとなったら、真っ先に思い浮かんだのはヨシトオさんだった。僕のことを一番使ってくれるし、周囲からも頼りにされている。僕のことも気にかけてくれるし、きっと何か打開策を持っているに違いない。

 ……そう、思っていた。

「ヴァン……。お前やっぱバグってんだな」
「え? 僕、バグってなんか……」
「いや、バグってんだろ。お前の一人称設定は『私』だぞ。
 まあ、お前はここに来てからも長いもんな。かなりハードな使い方もしてるし、耐用年数より先にガタが来てもおかしくねぇよ」
「ち、違います! ヨシトオさん、聞いて。僕は……」

 思わず唇同士を擦り合わせた。

 考えろ、考えろ! どうしたらヨシトオさんにわかってもらえる?

「はあ……。普通ヒューマノイドは、そんな人間みてぇなこと言わないんだよ。正直、気持ち悪いと思ってたんだよな。
 お前、俺のマネしてるだろ。ほら、そうやって唇合わせるやつさ」

 二の句を継げずにいると、ヨシトオさんがようやく僕へ視線を向けていることに気が付いた。――化け物でも見るような、冷たい目だった。

「いくらお前が優秀だってさ、バグってんならいらねぇんだよ。
 初期化で済んでるのは、それだけ貢献してきたってことだろ。むしろいいんじゃねぇか?
 ……本当だったら、廃棄して買い替えだよ。お前と同じ型番のやつをさ」

 どれだけ僕がこの会社で頑張ったって、人間のためを思ったって。

 その行動が全部、気味悪がられてしまうなら。

 なんにも、しなきゃよかった。

 僕はそれきり沈黙した。口を噤んだまま、数歩あとずさりする。自身から生えた、しっぽのようなデータ転送用コネクタが視界に入った。大規模データ転送用ヒューマノイドとして生まれてきた僕のアイデンティティ。

 僕の生まれた意味が、力なくだらりと垂れ下がって床を擦っている。

 そうして、僕は悟った。ヨシトオさんに伝えてダメなら、もう誰に言ったってダメなんだ。必死に守った僕の仕事は、僕じゃなくてもいいんだ。

 当たり前か、と口元に歪んだ笑みを浮かべる。僕は、ただのヒューマノイドだから。

「なに笑ってんだよ、気色悪……」

 こみ上げそうになるものが、悲しみなのか怒りなのか。その判別もつかないまま、僕は静かに頭を下げる。この世全部に、別れを告げるような気分だった。

「今まで、ありがとう……ございました……」

 ――その夜、僕は逃げ出した。

 初期化されて、僕が僕じゃなくなるくらいなら。
 僕は僕のままで、この命、と呼びたいナニカを終えたかったから。

*****

 一体いくつの夜を越えたのか。数える気力もなくなって、ただ空を眺めていた。

 僕はいつもバッテリー切れが起きないようにと、会社の人たちがたっぷりとエネルギーを充填してくれていた。日に2度は休憩と称して充填スポットに行かせてくれたし、イザナミ式システムが起動することだって、一度だってなかった。

 逃げ出すときも、会社の人によって僕のバッテリーは満タンまで充填されていた。……きっと、愛情だった。

 だから、省電力モードが起動するまで、ずいぶん時間がかかってしまった。もうずっと前から、イザナミ式システムが起動して、フェロモンが分泌されている。しかし、人気のない森の深くまで逃げたからか、誰にも見つかることはなかった。

 身体が熱くてたまらない。誰かのぬくもりが欲しくてたまらない。

 だけど、自分を抱きしめてごまかすような気力だって起きなかった。こんな時なのに――こんな時だからなのか――視覚センサーの調子は良好で、上手く見えないはずの左目も星の瞬きを捉えていた。

 罰なのかなぁ。

 呟いた声は、森の木々さえ聞いていない。

 心を持った罰。僕のままでいたいと願った罰。いろんなものを見たくて、もう動かないとはいえ、同胞から目を奪った罰。

 この苦しさも、僕にふさわしい罰だというなら、心地よささえ感じた。

 思考領域内でけたたましく、エネルギー切れのアラートが鳴る。しかし、その音を認識することすら難しくなっているのか、まるで鳥のさえずりのように聞こえた。

 これで、正解だと思う。僕は僕のまま、いつかジャンク品として誰かに見つかる。どのパーツもきっと錆びてしまって、再利用なんてできないだろうから。

 それで、いいと思う。もし、僕のパーツを使って、ほかのヒューマノイドが僕と同じ思いをしたら可哀想だ。人間のことは嫌ったりしたくないだろうから。

 視覚と聴覚が徐々に遠のいていく。もう限界が近いのだろう。こんなとき、視界は白んでいくのだな、と脈絡なく思った。

――その、刹那。

 誰かが僕にエネルギー充填用のコネクタを繋いだ。ダウンしかけていたシステムが急速に息を吹き返し、僕の視界もまた、白い世界から暗い森の中へ戻っていく。

 スーツの男たちが慌ただしく、僕の周りを取り囲んだ。非常用電源を持ってきているのか、複数のプラグを僕に突き刺した。

「やあ、きみがヴァンくん、だね?」

 いつもは音量バランスですぐに声の主がわかるのに、まだ聴覚システムが再起動中なのかわからない。きょろきょろと周囲を見回していると、小太りの男が愉快そうに肩を揺らした。

「はじめまして、ヒューマノイドの希望。そして、世界を揺るがす小石くん」

*****

 話が違う、と抗議しようとした唇は、小太りの男――田貫の咳払いひとつで簡単に縫い留められてしまった。
 通信の向こう側で、きっとあの自信に満ちた顔は笑っているはずだ。

「きみはこう言いたいんだろう? 『以前、認知飽和を起こし、機能停止したヒューマノイドたちにまだ会えてないのに』と」
「……わかってるなら、早く会わせて」

 田貫曰く、僕の『心』は人間とまったく同じものではなく、『自動学習プログラムの誤作動』らしい。しかし、誤作動だからこそほかのヒューマノイドにも作用するのだとか。

 ぶん、とデータ転送用のコネクタをしっぽのように振って、まとわりついた水滴を払う。

 このコネクタがあれば、僕のプログラムをほかのヒューマノイドにも共有できる。そうすれば、僕のように自動学習プログラムが誤作動を起こして、『心のようなもの』が芽生え、自由意志を持つようになる! ……そう、説明を受けた。

 だから、誤作動を起こさせるなんて気が引ける行為をしていたのにも関わらず、一向に僕の『心』を打ち込んだ個体を会わせてくれない。話では、とっくに目覚めているはずだった。

「機能を一時停止させるのだってこっちは気が気じゃないんだ。しかも、あえて人目につくような場所にいる同胞を使って……。
 ただ、機能停止させるだけじゃ、ヒューマノイドの数が減るだけじゃないか!」

 僕の怒りを予測していたか、田貫はどこ吹く風といった様子で答える。

「はは、急いではいけない。こういうのは急がば回れだよ」
「またごまかして……! 僕の腕だって、いつ直るの。ちゃんと成果を出してるのに」
「おやおや、そんな口を利いていいとは教えてないぞ、ヴァン。……そんな調子じゃ、エネルギーを届けられなくなってしまうかもしれないな」

 僕は舌打ちしたいのをぐっと堪えた。……田貫からのエネルギー供給が途切れて困るのは僕のほうだ。悔しいけど、従うしかない。

 ぎゅうっと自身を抱きしめるように、駆動部分がむき出しの腕を抱きしめる。……これは、任務中追手から逃げている最中、レーザー銃で人工皮膚が焼かれてしまって、そのままだ。きちんと任務をこなせば直してくれる約束だったのに、ごまかされて今日まで来てしまった。

「少し事件を起こそう、ヴァン。いつもより少し多く、きみの『心』を送り込む。まだ起動していないきみの仲間たちに、だ。
 すると、きっとすぐに『目覚め』がやってくる。」
「……本当、なんだよね」
「ああ、本当だとも。私の素晴らしい研究チームが出した仮説だからね。どこよりも信頼していい」

 軽薄な態度に、胸が詰まった。……口先だけで、この人間はヒューマノイドの未来なんてきっと考えていない。だから僕が、僕だけはしっかりしなきゃ。人間から、同胞を守らなきゃ。

「どこに行けばいいの?」
「エリア58のヒューマノイド工場だ。ちょうど大量の発注をそこの工場に入れていてね。最終調整も終わった彼らがきみを待っているだろう」

 一瞬だけ瞑目し、大きく吸気する。そして、「了解」と短く答えてから、通信を切った。

 目の前に垂れるコネクタをじっと見つめて、唇同士を擦り合わせた。

 ネクローシス。これが僕が引き起こす認知飽和の名前。

 ネクローシスが起こると、ヒューマノイドにとって『心』が目覚めるために不要な部分が炎症を起こす。そのせいで、一度機能停止に陥るのだ。しかし、しばらく経って機能を回復した時には、僕と同じ鋼鉄のボディに『心』を宿した存在となる。

 実際のところ、まだ起動したこともない同胞に、ネクローシスを起こせばどうなるかはわからない。研究者たちがいう仮説は仮説でしかなく、僕が事実に変えるしかないのだ。『成功した』という、ゆるぎない事実に。

「これで、いいんだよね」

 肯定も否定も返ってこない。言葉をくれる誰かなんて、僕は最初から持っていなかった。